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【コラム①】慰め合う女

慰め合う女が居る。

 

こういう女は2本くらい後ろの路地の隅の方から

見ている位ならまだ面白いと思えるが、

 

実際に机を間にして、向かい合って

「解決を求めていない話を、解決したそうに話す」という不可解な話を聞くとなると、

出口が見えなくてとても不愉快な気持ちにさせられる。

 

もしかして男性にもいるのかもしれないけど、私は女性だからか、

どうしても同性が目についてしまう。

 

 

『慰め合う女』の具体例

嫌な状況や辛い状況があったとしましょう。

それは、自分の心持ち次第で打開できるものだとしたら、

私なら打開しようとする。時間がかかっても打開すると思う。

 

しかし、慰め合う女は違う。

そういう状況を嘆いて、可哀そうな自分にどっぷりと鼻の高さまで浸かる。

自分しか見えていない、自分のフィルターを通した他人が自分の中で登場人物として

生きている。

 

そして残った目だけ上に出して、冷静に周りを観察している。

可哀そうな自分を、『周りが』ちゃんと可哀そうだと思ってくれているのかどうか

を観察するのだ。

 

同情され、憐れまれた時、彼女達は満足し、「受け入れられた」と感じるのだろう。

 

そして慰め合う女は、仲間を見つけるのがうまい。

可哀そうな自分を例えばSNSにブログという体裁でもって主張すると

必ずコメントがついているのを見る。

 

それも「可哀そう」、「分かるよ」、「私もそう」、「頑張ってるよ、話ならいつでも聞くよ」、「語ろう」

といった、肯定的なコメントが意外なほど多いのだ。

 

私はそれを見て、驚く。

毎回同じようなことで悩み、同じようなことを思って胸を傷めている

この女のどこを毎回、擁護できるというのだろう、と。

 

 

自分には分かれないのかもしれない

私は学生時代から、友達とべったりと依存関係を結んだことはないし、

俗に言うグループにも 入ってるような、そうでないような、

そんな状態だったので、もしかして女性でありながら、

女心というものは分からないのかもしれない。

 

だからかもしれないが、時々粘着しようとしてくる

女たちのねっとりとした態度に嫌悪感を抱く時がある。

私は何か包容力や憧れや、一方的な羨望の眼差しじみたものに

応える自信はない。

 

『ちょっと不幸』な毛皮をしっかり着込んでいる慰め合う女達は

このちょっとがミソで、あんまりしっかりとした不幸だと自分が本当に辛くなってしまうので、

絶妙なちょっと不幸を装う。

 

大抵恋人のことだ。

「彼氏が一緒に居る時、いっつも私を空気に扱って、ゲーム漫画携帯に忙いの。

追われる恋がしたい」

「こんな恋を選んだのは私」

って無自覚だろうが、ポエムを作ってしまう。

 

そしてかならず、前向きな言葉で締めくくられる

「ずっと一緒に笑っていたいから、もっと努力する」

「優しい時だってたくさん知ってるから、ずっと一緒に居たい」

 

私はここらへんが謎なのだが、

一緒に居る時に男性が

一人で遊んで全く構ってくれない状態がいつも

続いているのであれば、それはもう女性側に興味関心が無いのではないか?

もしかして男からすると、

『自分が楽しいのが一番だから、自分が楽しい時は大人しくしているような女じゃないとダメだ』とさえ思っているのではないのか

 

そして、追われる恋がしたい上に、こんな恋を選んでしまったのは私、という

後悔とも取れる感情を抱いているのであればそれはもう新しい恋を探すべき、

又は追いかけてくれるような男性と付き合うべきなのではないか

 

そうして、追いかけてくれなくなったらまた男を取り換えて、そうやって行く道を模索すべきなのではないのか

そうやってる方がずっとカッコイイし、そういう奴とは友達になってみたいと思う。

 

もっと酷いのだと

「『デートの時、いつもの恰好で来ないで。

ちゃんと今時の普通の女の子の恰好で来てくれないと一緒に歩かないから』、

って言われてるから、好みじゃない普通の服もいっぱい持ってるの」

 

「彼に『そうやって育ってきたこと、反省した方がいいよ』、って言われて、

距離をとられたことで、成長することができた、ずっと一緒に居たいの」

 

話の流れが無いので、語弊があるかもしれないが、

とにかく私は、これを言われた時、思わず彼女に言ってしまった。

 

「普段の恰好は個性的でオシャレで、すごく〇〇(名前)らしいと思う。その恰好を認めないということは、

彼は〇〇をありのままでは認めないと言っている。そんな歪んだ愛情でいいのか」

 

「彼は生まれてから今までずっと〇〇と一緒に過ごしてきた訳ではない、この数年だけしか知らないのに、

人生レベルで否定するような権利は一人の人間には無いと思う。そんなことを言う彼は問題があると思う」

 

彼女はまがりなりにも私の友達だ。

それがそんなないがしろにされるというのはおかしいと思った。

しかし彼女は熱っぽく彼のおかげで、彼のおかげで…と繰り返すばかりで、

もはや彼女の中で、彼は神格化してしまっているように感じられた。

 

私はそっ閉じするしかなかった。

というか、それ以上彼女の人生に踏み込みつもりはなかった。

 

 

結論は友達=母親の投影

何が言いたいかと言うと、

私自身がこういう女性に自分の母親を投影してしまうということ。

 

母親が全くこんな女で、

本当に困っていると言うので、相談かと思ったら

結局ただ言っただけだったみたいな

無駄な時間をとらされることが本当に多かった。

 

残念ながら母親みたいな女と友達になる傾向があるらしく、縁を切っても切っても

次から次へと新しい「母親みたいな友達」ができる。

 

恐ろしいネガティブループにはまり、私は一旦、友達から距離を取り、改めて友達を冷静に分析した

という話。

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