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【毒親】私が4歳の時から親はおかしかった

こんにちは、あかたむです

何度も書いていますが、私の親は毒親です

母親が過干渉、父親は静かな絶対君主制バンザイ

(母方の祖母が結構な基地外ですが、今回は置いといて…)

 

自分の親子生活を振り返ってみて、

違和感を感じた時のことをお話したいと思います

 

 

幼稚園の担任の清水先生が怖い

私は幼稚園に3年行き、

その内卒園までの2年間担任だった清水先生という女性の

先生にいじめられていた。

 

具体的に言うと、私は発達障害のある子とも遊んでいて、

(小さかったので、相手の子が障害があるとは分からなかった)

わきあいあいとした雰囲気だった。

 

メガネをかけたことがなかった私は、

メガネをかけていたその友達に

「ちょっと貸して~」と言い、

相手の子は「いいよ~」と快く自分のメガネを取って

私に貸してくれた。

 

このやりとりの間ずっと清水先生の視線を感じていたのだが、

それを掛けてみた所で、清水先生が飛んできて

めちゃめちゃ怒られた

 

「どうしてそんないじわるするの?!」といった内容だった

私も、友達もきょとんとしたが、

先生の剣幕でついには友達が泣きだし、

 

先生は、

私が嫌がる友達に意地悪をして、

先生がちゃんと見てて注意したから、もう大丈夫よ

いじわるされて泣くほど辛かったのよね

みたいな空気を見事に作り上げた

 

普通に友達と遊んでいても私だけいわれなきことで

怒られることが多く、

子供心に「なんとなく自分だけ監視されてる…?

と思っていた。

 

ちなみに、兄もその前年清水先生の受け持ちだったが

先生はそんなことはしなかったらしい。それどころか

先生は兄が大のお気に入りだった

 

幼稚園児だから、急に怒られると委縮して何も言えなくなる。

何も言わないのが清水先生にとっては

肯定のサインだったようだ。私がいじめをしている、と決めつけていた

 

清水先生は怒るとタコみたいな口をして怒っていると

アピールしてくるのが嫌だった。

正直、私にはいっつもその顔をしていた記憶が強い

 

 

 

「行きたくないと思うから、行きたくなくなるんだよ」

朝、お弁当を作っている母のもとで

食卓椅子に座って、「幼稚園行きたくない」という日が時々あった

 

 

本当に行きたくないと思った。理由は清水先生がいわれなきことで

怒ってくる、と感じていたからだ。

そう言うと母は決まってこう言った

 

「どうしたの?お母さん仕事休めないんだよ」

「じゃあ休めばいいしょ。皆勤賞なくなるよ」

「お兄ちゃんは一回も休んでないのに、あんたは休むの?」

「行きたくないと思うから行きたくなくなるんだよ。なにくそ!と思えばいいの」

 

大体この単語のローテーションである。

皆勤賞とは、一日も休まず通った児童は、卒園式の日に園長先生から表彰される

というもので、両親はなぜかこの賞にこだわっていた。

 

私は幼心に「この期待を裏切ってはいけない」と思い、

「皆勤賞を取らなかったら母親にガッカリされて、

あの子はダメな子だと思われる」と思っていた。

 

「行きたくないと思うから行きたくなくなる」

今聞くと、なんで子供の気持ちを我慢させて、ふたをするようなことを勧めてくるんだこの親

と思うが当時は効果は抜群で、「嫌だと思うから嫌なんだ」とありとあらゆることに思っていた。

 

私は思えば、人より繊細な子供だったのだが、

この「嫌だと思うから嫌なんだ」という思想を

インストールして、繰り返しバージョンアップをすることで

最新の状態で使うことができた。

 

嫌で嫌で吐きそうな位な時も

「嫌だと思うから嫌なんだ、嫌じゃない、嫌じゃない!」

とすぐ引き出して使っていた。

これは高校になってもずっとバージョンアップを繰り返して

使ってきた言葉だった。

 

私はこの言葉を使う影で

「本当は嫌だ、苦しい、本当は逃げたい」

という言葉を消し続けた

 

 

「嫌だと思うから~をアップデートします」

 

→イエスを押すと、私の心の画面に

「本当は嫌だ、苦しい、逃げたい」

という言葉がポップアップで表示される

 

→それを表示された瞬間バツ閉じ

何度もバツ閉じしてきた。

 

 

娘の心の詳細を聞こうとしない母親

母は清水先生が具体的に何をしてくるのか

私に聞いたことは恐らくない。

 

それを夫である私の父に相談も

恐らくしていない。会話にものぼっていないだろう。

 

母は、平日ほとんど自分の夫に付き添って、

自分達が作った会社に行っていたから、

夜は8時過ぎないと帰らないし、

 

帰ってきてもご飯を食べながら大人だけで

難しい話をしていた。

 

時々、遅い時間まで幼稚園で母のお迎えを待つ時があって、

お迎えに来た母が、清水先生に

「娘が先生を怖がって幼稚園に行きたがらないんです~

理由分かりませんか?」

直接聞いていた記憶はある。

 

だが、なぜ母は私にそれを聞かなかったのだろう。

どうしても『私の気持ちに興味が無かったから…?』

と思ってしまう。

 

その後も、清水先生の態度に改善は見られず、

卒園式の日先生と全員がツーショット写真を撮らねば

ならないという場面が嫌でしょうがなかった。

先生が私を足の上に座らせるのが嫌だった。

先生は顔を近付けてきたが、私は思わず顔をすくめた。

 

写真はこわばった笑顔で写っていた。

 

まとめ

この幼稚園のエピソードが私が思い当たる一番最初の

自分の親がおかしいと思ったことです。

 

今思い出してみると

「何か嫌なことがあったの?」とか

「それは清水先生おかしいよね、何も悪いことしてないのにね。お母さんが言ってあげるね」とか

そういった共感が欲しかったなと思う。

 

親はこの後もずっと、悩んでいる娘に共感することはなく、

「がんばれ!自分の気持ちは無視してなにくそ!と思ってがんばれ!

負けるな!」

 

とまるで競馬の馬みたいにひたすら鞭で走れ!走れ!と打ち続けるだけ

 

「よく頑張ったね、とか、立派だ、偉いよ」とか

そういう言葉は一回も言われたことがありません

 

母は、この小さい私にどうして「休んでもいいんだよ」と言えなかったのだろう。

まさにこれこそが親の毒なんでしょうなぁ。

 

 

後日談なのだが、

この清水先生に私が高校生の時、母親と二人で歩いていた所

偶然会った。

 

私は顔を見ることもできず、遠くに離れてうつむいていた。

あとで母は、清水先生が「あかたむちゃんには、ちょっと厳しくしすぎました。。。」

と言っていたと私に伝えてきた。

 

げー故意だったんかーあれ。小さい子自分の好き嫌いで態度変えるとか

ないわー

と思った。というのを最後に付け加えておきたい

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