同棲DO!?

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どんなに就職に困ってもコールセンターだけはやめとけ

みなさんこんにちは、あかたむです。

 

コールセンターでバイトしてみようかなぁと思う人はたくさんいると思います。

色んな評判も調べていらっしゃる方もいるでしょう。

でも、コールセンターで働くのだけは辞めた方がいいですよ。

 

そんな理由を自分の体験を交えて紹介して行きたいと思います。

 

2018/11/28 追記

【具体的な事例つき】10年間コールセンター勤務の経験から言える、不向きな人

コールセンターの経験に基づいた

向き不向きジャッジしたい方向けに特化した記事を作成してみました

  追記ここまで

 

同棲するにあたって始めたアルバイト

近所のコンビニでおにぎりやパンの製造。しかも早朝。

朝7時までだから、日中は好きなことして過ごしたいなぁと

考えてのことだった。

 

しかし

日中家にいると、毒親とその兄弟たちの声がするようになる。

 

実際にはもう一緒には住んでいないので、脳内で記憶が再生されるだけなのだが、

「この暇人が」「金食い虫」「働いてない奴は生きる権利ない」「くそニート」

といった働いていないことを馬鹿にするような言葉を実際に言われてきたので

それが思い出されるようになる。

 

日中も働いていないと心が苦しくなった結果

日中もフルタイムで仕事を探す

とりあえず短期でやってみようと思い、派遣会社に登録

丁度短期のコールセンター業務があり、就業

 

夜3時起きで4時~7時まで早朝製造のバイト

8時~17時30分までコールセンターのバイト

を週5日

土曜10時~1時まで家庭教師

月曜18時~19時半まで家庭教師

 

という生活を繰り返す。

移動は原付。便利だったが、大家に原付を駐輪場に置くなら金払えと言われ、

原付を手放す。

 

 

早朝製造→昼仕事はショートタイムにしてみたけど…

日中のコールセンターは2か月で契約が終了。次の仕事を探すにあたって、フルタイムはきついと気づく

17時半まで働くと、家に帰って来て18時20分になる。そこから夕飯作りに入り、

翌日の早朝製造の為、21時には就寝。

つまり、働いていない時間が、睡眠時間を除くと3時間半しかない。

 

部屋が散らかった。休みの日は買い物や掃除で一日が終わる。

疲れて何もできない日も増えてきた。

 

そこで、9時から13時までのショートタイムで探し、

再度派遣でコールセンターの、今度は長期に。

朝7時まで働き、9時から次の仕事へはしご。

家にあまりいなければ、毒親と兄弟の声は聞こえなくなった。

 

しかし、ほとんど働いていない人間がいきなりそんなに働いて、

しかも社会で集団に属して働くということに向いていない人間が

無理を重ねた結果、体調は日増しに悪くなってきていた。

 

まず、仕事から帰ってきたら即ソファーに倒れこみ、そのまま18時頃まで起きれない。

休みの日は寝て1日が終わる。肩や背中がいつも痛い。

自殺や死ぬことについて無意識にネット検索してしまう。

 

そしてトドメは年末。

年末、年始合わせても1月1日、元旦の1日しか休みがない

コンビニという業種は休みなしの上、早朝のメンバーは私ともう一人の2名だけ。

しかも私以外は主婦だ。正月など特殊な日は家庭の事情で

どうしても休みをとる。すると消去法で私が出るしかなくなり、休みなく働いた。

 

「無理だから、できないから、こうしてくれるなら出ます。」

そう要求しても無視する店側。

私はストレスで体を壊し、この後から体調がおかしくなってしまった

 

 

自律神経失調症の再発

朝起きて、1日頭痛がひどい。頭痛薬が効かない

コールセンターのブースに入ると咳が止まらなくなる。

目が痛くて画面を直視できない。

理由もなく辛くなり、職場で突然涙が止まらなくなる。

背中と肩が常にパンパンに張っており、辛い。

体がだるくて力が入らない。

いつも眠い。1日寝ていても眠い。

人から連絡をが来て、返事をしようとすると、かなりエネルギーを使う。

人と話すとエネルギーを使う。

立っていると原因不明のめまいがする。

 

結局、自律神経失調症にかかってしまったのです。

もともと私自身、この病気にかかったり治ったりと10年前から繰り返してきたので、

自分でもわかったのですが、ここまでひどくなったのは初めてでした。

 

1月のこの時点で、漢方内科の自律神経失調症について本を出している

クリニックにかかるようになりました。しかし薬を飲んでも全く効果はありませんでした。

 

6月には家事もできなくなり、家では寝てばかりいました。

彼もさすがに心配して、体調が悪い日は休んだら?とよく言われました。

しかし行かないと生活が…

 

同棲はタダではできないのです。お互いがきちんとルール通りお金を出し合わなければいけない

休んだら払えなくなる。

その上、私は親のせいで作った借金の返済もあったので、どうしても働かないといけなかったのです。

 

4月までには早朝製造の方は週3まで減らしてもらっていて、

6月には週2まで減らしてもらっていました。

それでも体が辛い。1日中体のどこかしこも痛い。どうしても治らない。薬も効かない。

 

 

 

体が辛すぎて自殺を考えるまでになる

そうなると情けなさと辛さで生きていることが嫌になってきました。

何度となく一人で意味も無く泣き、自殺の方法を調べ、いつでも死ねると思うとホッとしました。

 

彼にもたくさん迷惑をかけ、夜眠れずに体がわなわなと動いてしまう私を気遣ってくれました。

 

コールセンターではギャルママにターゲットにされていました。

具合の悪い私を無理矢理ランチに誘って来る。

1度付き合うと4時間は解放してくれない。用もないのにラインや電話が来る。

と言った嫌がらせとしか思えない、距離の取り方を間違った方法で付きまとわれていたのです。

 

無視するようにして、付きまといはなくなったのですが、実際そういう人と一緒に仕事を

していると、間接的な嫌がらせをしてくるようになりました。

 

そして私は思いました。

ここまで体調を崩して、それでもなぜこの仕事を続けるのか?

 

まず、コールセンターという職種で、『個』は必要ない。全員が同じ言い回し、同じ対応を求められ、

時にはクレーマーのおばちゃんに構ってやらないといけない。

話好きなおばちゃんに対しても砕けた態度は取ってはいけない。

 

人見知りなので、電話がなると心臓が毎回ビクン!として、心臓がドコドコ鳴る。

知らない人が急に怒鳴ってきたらどうしよう…と思うと落ち着いて電話ができない。

 

そしてどんなに素早く、一生懸命丁寧な対応を心がけていても、評価されるのは

お客様の声という葉書に名前を書かれた人だけ。

 

丁寧とか工夫とか、寄り添った対応とか、そういうのは関係ない。

運なのだ。たまたま良いお客さんからの電話をとれば、書いてくれる

そういうものであることは管理者も電話をとるパート達も皆知っていた。

 

 

 

コールセンターなんか辞めよう

自分じゃなくてもいい。じゃあ自分からこの仕事じゃなくてもいい。と手放したっていいのだ。

そこまで考えが至った時、

少なくとも私はもう少し評価されるような、自分の長所を生かせるような、やりがいを感じられるような

そんな仕事をしたい。

そう思うようになりました。

 

辞めていく人は仲良かった人ばかり。正社員が決まったり、専門学校へ入学を決めたり。

やりたいことがあって、それまでのつなぎとしてコールセンターに居た人はさっさと辞め

残っているのは主婦や年寄りや学生、主体性の無い人ばかりといった印象でした。

 

辞めて仕事探そう。

そう思い、7月で辞めることにしました。8か月。自分の中では結構一生懸命行った方です。

1カ月前の6月から仕事を探し始めましたが、正社員雇用を目指し、ハローワークで紹介状をもらい、

履歴書を送っても書類選考で落ちたり、ブラック企業まるわかりな面接をされたりと

まったく内定をもらえぬまま、7月になり、コールセンターを辞めました。

 

 

コールセンターでだけは二度と働かない。という制約

しかも、自分で履歴書を書いていて驚いたのですが、

私は実に10年もコールセンターのアルバイトをしていたのです。

1つの所は長くても1年。短ければ2か月で辞めていましたが、

トータルするとすごい年月です。

 

そして、コールセンターに慣れているので、無意識に

「バイトするなら簡単なコールセンターでいっか。」

と安易に選びやすくなっていたのです。

 

まず自分に制約をつけました。

『コールセンターでだけはもう2度と働かない』そう決めました。

自分にとってはコールセンターという職種は意味が無い。

早く自動化されればいいと強く思う職種です。

 

 

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