正当に評価されたい、褒められたい気持ち
2019年10月23日水曜日
こんにちは、腱鞘炎がひどくなってしまい
初めて整骨院に行きました、あかたむです
テーピングしてこの記事を書いてます
続きです
他人を妬む陰に何があるんだろう
と考えてみました
毒親の陰あり
他人が褒められている時に
妬む気持ちが出てくる時
『自分だってできるもん!』
と思ってることに気づきました
同じくらい自分ができてるんだから
自分だって褒められたい!
そう思う原因を思い出してみると
やっぱり毒親である母親に原因がありました
母親は根っからの男尊女卑で
女は男の陰にいて当たりまえ!
しゃしゃり出るな!
という考えがひどい上に
男の兄弟(私の兄と弟)だけ露骨にひいきしていました
それで
兄と私で同じだけできることがあっても
私の方は大したことがない、できて当たりまえだ
と言われ
兄はすごい!と褒められていました
私だってできたのに
どうして私は褒められないの?
そう思い
『私だってできたんだよ!褒めてよちゃんと!』
とことあるごとに言っても無駄でした
『あんたなんて大したことしてないしょ』
とか
『あぁ、そうなの?』
とかそんな返事ばっかりです
それを繰り返していった結果
中学に上がる前には
すっかり
できる兄
できない妹
という不名誉な立ち位置に
強制的に立たされてしまいました
実際は同じ位できていたし
私が兄より劣ることもあったし
逆に兄が私より出来ないこともたくさんあったんです
でも
母親は兄ばかり褒め、私はできて当たりまえ
褒めたりしない
正当に評価せず、男だから良い、女だからダメ
という態度で示したことで
子供達にもそういう風に思わせてしまった
訳です
家族全員に(もう居なかった父親を除いて)
あかたむは劣ってるし
何をやらせても、まともにできない奴だ
と言われ続けて育ってきました
私自身でも周りより劣った人間だと思っていた
まったくそんなことはないはずだし
男女の前に人間として平等に能力を評価されていれば
私はもっと好奇心に任せて能力を発揮させることができて
いま、できることが
たくさんあったかもしれないですが
できないやつだ(だと家族が言ってる)し、
やったところで誰も褒めてくれないし
一生懸命なにかに打ち込んで結果が出たとしても
「できて当たりまえ」
「お父さんの血だ。お父さんの子供だ(あかたむ個人の能力じゃない)」
「そんなのは大したことない」
としか言われなくて
いつの間にか
私自身でもなぜだかそういう風に思うようになってしまって
私は家族の中で一番劣ってる人間なんだ
と母親や家族に洗脳されました
できる自分はすべて無意識の中に押し込む
そうして長いこと
できる自分を抑圧して
無意識の中にぎゅうぎゅうに押し込んできました
一生懸命努力してる姿を他人に見せるのも
嫌になりました
一生懸命やってもどうせ
「できて当たりまえ」
としか思われないし、それなら努力してる姿を
見せること自体が恥ずかしい
私が努力してできることは
『(私以外は)できて当たりまえ』
なんだからと思うようになりました
すると他人が褒められていると
その無意識にいる
できる自分が顔を出す訳です
私だって、ちゃんと褒めてほしい!
私だってできてるんだよ!
でも、褒めてくれない
だから妬ましいんだなと
気づきました
なんだよ!あいつなんて
大したことないじゃん
あんなのできて当たりまえなんだよ!
(自分だって同じくらいか
それよりもっとできてるよ)
っていっつも思ってると気づきました
例えば
あるやり方をして褒められている人
を見たら
『まぁ、あのやり方でもいいけど
私なら〇〇の方法を取るね
だってその方が効率的だし
絶対楽だもん。あれと同じ方法でいいなら
私ならもっと早くできるよ』
(私にやらせれば、私の方がもっとちゃんと
できるんだから!私だって褒められるはずだもん)
と、( )の中は無意識に抑圧したまま
悪口の部分だけ言ってしまって
いたんです
自分の価値が認められるようになるかも
親がちゃんと褒めてくれなかった
その劣等感がすごくて
自分は大したことのない人間なんだと
洗脳され続けてきましたが
今こうして悪口を言ってしまう自分に
気づいて、それを変えたいと思っている
ということは、その洗脳が解けかけてきてるのかもしれない
となんとなく思っています
これからは( )の中に押し込めて
言葉にならなかった部分を
もっとちゃんと言葉にしていけたらいいし
それでざき にいっつも褒めてもらうことで
自分の価値を無価値なところから
価値のある方へ引っぱり上げてあげたいと
思いました
(おわり)
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他人を妬む気持ち